今回は
褒められるために行動するのは健全と言えるのか?
ってテーマです。
褒める、褒められるって難しくないですか?
褒められると嬉しいし、もっと頑張ろうってなる。
でも、褒められるために行動するのも
「自分の意志で行動してない」感覚があるし、
承認欲求を満たしてるだけな気がするというか・・・
だから
褒められるのって苦手な人もいると思うし
コンサルとかをしてるときに
褒めてるとコンサル生がやる気出るのはわかってるけど
なんか褒められるために行動させて
「自立心を奪ってる気がする・・・」
と考えてしまってりとか。
まあ全部自分の体験談なんだけど
でも、同じような考えを持ってる人は少なくないと思う。
で今回は2025年4月23日時点での
、褒める、褒められるに関しての
自分の考えを書いていきます。
まず褒められるために行動するのが健全なケース。
褒められるために行動するのが健全なケース
例えばスポーツとかでもなんでもいいんだけど
スポーツを例にします。
で、コーチと教え子って関係だとします。
あなたが教え子側です。
あなたの目的って大きく言うと勝つことですよね。
まあ守って勝ちたい、攻めて勝ちたいとか
勝ち方に目標があったり、
大会で3回戦を目指しましょうみたいな
勝つに対して数値を出した目的。
または「このスキルを習得しよう」みたいな具体的なものも
目的になると思う。
と大小さまざまな勝つに対しての
目標があるとはず。
その目的達成のための行動なら
褒められるために行動するのはオッケーだと考えてます。
つまり
自身の目的を達成するための
行動、結果に対して
褒められるのはオッケー
ってこと。
逆にあなたが教える側でも
バンバン褒めていいと思います!
次は褒められるために行動するのが
不健全なケース。
考えられるケースは2つあって・・・
褒められるために行動するのがダメなケースその1
1つ目はさっきの逆。
自分の目的に合わない行動をして
褒められようとすること。
例えば、自分が守って勝ちたいのに
コーチが「攻めて勝ちましょう」と言われて
せめて勝っても嬉しくないですか?
稼ぐ系でもそうでやりたくない稼ぎ方で稼いで
メンターや周りの人に褒められても嬉しくないはず。
この話って
本来やりたかったことよりも
「評価されそうなこと」を優先しちゃう
みたいなズレが原因なはず。
「褒められる=外からの承認」
と
「自分の意思=内からの動機」
のバランスの問題で、
外的承認(褒められること)が強すぎると
自立心とか内発的なやる気が圧迫される感じなのかなと。
褒められるために行動するのがダメなケースその2
褒められるために行動するのが
不健全なケースその2は
褒められたいが肥大化して
相手が求めてないことをやってしまうケース。
わかりやすく言うと
ありがた迷惑。
例えば、Xでもなんでもいいんだけど
リプやコメントで
教えても言ってないのに教えてくる人とか。
自分の目的に合ってるかどうか関係なく
相手が求めてないものを与えて、
相手が喜んでくれなかったことに
ガッカリするってことだね。
「あなたのためを思って行動したのに・・・」
とか言ってきたり・・・
正直知らんがなとなるけど言えないだよな〜笑
でも、自分は「ごめん」とか
言っちゃうことが多いです。
そしてありがた迷惑をしないように
相手が何を求めてるかなどを知るように努めてます。
まとめ
褒められるために行動するのは健全と言えるのか?
をテーマにしましたが
3つのケースをまとめると
自分の目的(自身の内的な動機)
と
相手が求めてること(相手の内的な動機)
が一致していれば
褒められるために行動していい
ってことですね。
逆に自分の内的動機と相手の内的な動機が
ズレてると褒められるために行動するのはダメってこと。
自分の心を削ったり
相手の心を削ったりしてる可能性があるからですね。
この褒められるために行動するのは健全かどうか?
って話をさらに深堀りしていくと・・・
自分の本音を出したり、やりたいことで
感謝されながら稼ぐってことは
自分がやりたいこと
と
相手が求めていること
を
一致させるってことにつながっていきます。
そのためには
自分がやりたいことが
相手が「自分が求めていることだ!」
ってなるように価値の届け方を変える必要があります。
でもやってみると意外に難しくて・・・
「なんで自分にとって必要なことなのに
誰にも反応がないんだ・・・」
となりがち
それは
・価値の可視化
・価値観への自信
・翻訳
って3つの要素ができてないからなんです。
でその3つの要素を知って実践して
自分の本音を出して感謝されながら稼ぐ
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